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熊本地震の被災地を視察

日本共産党横浜市議団は、大貫憲夫団長、岩崎ひろし、あらき由美子両副団長、白井まさ子、古谷やすひこ、かわじ民夫、みわ智恵美、宇佐美さやか市議と事務局員3人で、11月14日から16日まで熊本県を訪れ、熊本地震の被災地を視察しました。
視察の目的は、横浜市の防災計画の見直しに反映させるために、(1)甚大な被害を受けた地域の現地の視察(熊本市内・西原村・益城町・南阿蘇村)、(2)発災時の避難所の実際の運営方法について調査、(3)被災された方々の現在の要望の聞き取りです。

西原村木造仮設住宅

14日の午前中はまず、西原村の木造仮設住宅を訪れました。
この仮設住宅は震災2か月後の2016年6月に建てられたられたもので、戸数は302あり、その内50戸が木造です。木造の住宅には、高齢者や比較的体の弱い方が優先的に入っているとのことです。案内をしてくれたのは、日本共産党熊本県委員会の松山邦夫氏、日本共産党西原村前村議の田島敬一氏です。

西原村仮設住宅で住民の方のお話を聞く党市議団 木造の仮設住宅
田島氏からは、仮設住宅内で取り組んだ実態調査アンケートで、郵便ポストの建設を要望する声が多く寄せられ、住民と一緒に申請し実現した話や、仮設住宅には農作業を終えた際に靴などを洗う水場がなく、雨水を利用した水場を自身でつくった話を聞きました。
その後、西原村の現在の姿を視察しました。
倒壊した家屋の解体が進み、さら地になっている所もありましたが、屋根が落ちたままになっている家や、ブルーシートがかかっている家も多く残されていました。

破損した家屋が並ぶ西原村 さら地には家屋がびっしりとあった

熊本県庁危機管理防災課

14日午後は熊本県庁の危機管理防災課に伺い、発災時の行政対応について危機管理防災企画監の有浦隆氏に話を伺いました。
有浦氏は、熊本地震対応の教訓として、指示をする人を1人とした指揮系統が明確であったこと、訓練を積んだ職員を復帰させる制度(転出者復帰制度)を活用することや防災センターの情報共有のあり方などをあげられました。

熊本県庁内の危機管理室にて① 熊本県庁内の危機管理室にて②

熊本市内の液状化被害

14日夕方は、日本共産党の那須円(なす まどか)熊本市会議員の案内のもと、熊本市内陸部の液状化被害が集中している現場を見ました。
建物が土台から傾き、電柱が約60cmも沈みこんでいる所がありました。那須議員は、この被害は長さ約5km、最大幅100mの細長い範囲にわたって表れており、かつて川が流れていたところを埋め立てていたのではないかと話されました。

液状化によって沈み込んだ電柱 土台から傾く家屋

那須市議、山本県議との懇談

14日の最後は、日本共産党熊本県委員会にて、那須市議と山本伸裕日本共産党熊本県会議員と懇談し、発災後の避難所の様子や住民目線の復興のあり方や課題などをお聞きしました。

↑スライドを使って報告をする那須市議 懇談する市議団と那須市議(奥左)と山本県議(奥右)

益城町テクノ仮設住宅

翌15日の午前は、熊本空港近くにある県下最大規模の益城町テクノ仮設住宅へ伺いました。戸数は516にのぼります。
仮設住宅内にある集会所をお借りして、熊本学園大学の高林秀明教授から、「住民自治による避難所運営」というテーマで、実際に地域避難所の運営に携わった経験と教訓のお話を聞きました。
高林教授は、地域避難所のあり方について、避難してきた人のことだけを考えるのではなく、避難所を中心にした地域全体の復興の動きをつくっていくことが大切だと述べました。
その後、仮設住宅内の集会所でボランティアが運営するカフェの様子を見せていただきました。

お話しされる高林教授 集会所内のボランティアカフェにて

震源地の益城町

15日午後は、震度7の地震に2度にわたって襲われた益城町の被害状況を視察しました。案内は日本共産党益城町前町議の甲斐康之氏。

断層によって隆起した庭 瓦礫が残る益城町内

甲斐氏は、「町全体が1メートル下がった」と話します。水位が上がった川、波打つ道路、粉々になった家や断層のズレがはっきりと分かる農地などを見て、震源地の被害状況は想像を上回るものでした。益城町役場は被害が大きく、建物内での行政作業ができないため、臨時のプレハブと隣接する公民館を使用していました。

傾いた益城町役場の渡り廊下 臨時のプレハブ庁舎

南阿蘇村

16日視察3日目は、南阿蘇村を中心に視察しました。案内は日本共産党南阿蘇村前村議の立石武博氏。崩落した阿蘇大橋や倒壊した建物が残されている高野台住宅等を視察しました。

崩落した阿蘇大橋前にて 1階部分が倒壊した学生アパート
阿蘇大橋は、背後にある山の山頂が2回の本震時に長さ約700メートル、幅約200メートルにわたって崩壊する大規模な土砂崩れを起こし、流れ込んできた土砂の影響で完全に崩落してしまったとのことです。立石氏は「まさかここ(阿蘇山)まで活断層が伸びているとは思っていなかった」と話します。この橋の崩落で1人の大学生が亡くなったほか、周囲にある東海大学の学生アパートが倒壊し下敷きになった3人の尊い命が失われました。
また、阿蘇は水が豊富な地域ですが震災後断水が今でも続いているほか、鉄道も1部がまだ不通のままになっています。

視察報告書はこちらです。